エネルギーの注ぎ口

こんにちは!歌うように軽やかな人生をクリエイトするカウンセラーやまもと優子です!

エネルギーの注ぎ口があった

ちょっと前の話なのですが

先輩セラピストの「マインドフルネス講座」に参加したときにこんな言葉をかけてもらったんです。

「優子ちゃんはエネルギーの注ぎ口があって良かったね」って。

その言葉がとっても印象的で、かつ「エネルギー」という目に見えないものを

どう使っていくかを更に考えるきっかけになったんです。

目に見えないものが見えていた時代

話はさかのぼって、私の子どもの頃の話。

私はとにかく勘が鋭い子どもで、母親が予防接種に連れていこうと「注射だ」とは一言も言わずに自転車の後部座席に乗せただけで

「注射に行くんでしょ」「注射に行くんでしょ」としつこく言い、母親を驚かせていました。

大気中にあるプラーナ(気)が見えていたり、多分幼児くらいまではかなりスピリチュアルな世界を生きていたと思うのですが、私にとってはこれらのことが「普通」でもありました。

ところがなんとなくそんな私を母が扱いずらそうにしているのを言葉では言わなくても肌で感じるようになりました。

ある日母が知人に「あの子は変わっている」というようなことを話しているのを偶然立ち聞きしてしまいます。

そうして私はより一層「感じていること」を外側の人に知られてはいけないという「禁止」を強化していったようです。

感覚・直感をどう使うか

何かを言い当てるとか、勘が鋭いとか、何かが見えているとか・・・・

これはオープンにしてはいけないんだと思った私ですが

「音楽」という領域では「変わってる」はむしろ「才能」として称賛されるのだということがわかりました。

絶対音感や聴いたものをピアノで弾いたり・・・

そういった「感覚」は私にしてみると音楽だけではなくさまざまなものを捉える感覚となんら変わりはなかったのですが

「音楽」だったら「変わってる」と思われずに安心して「感覚」を使ってもいいのだと、幼いながらに思ったようです。

「感じること」へのブロック

このような変遷があって私の中で「深いところ」での感じる力や直感は結構封印されていたというのが

ここ数年自己探求してきて思うところでした。

だからこそ「感じる」ことを中心に置いたセラピーなどの技法はどこか拒否反応が出ていた自分もいます。

そう、今でも「感じていいんだよ」って再確認することが多々あります。

注ぎ口があって良かった

話を冒頭に戻すと、「なんか変わった子」と思われないように生きようとしたものの、持て余したエネルギーを「音楽」に注ぎ

、消化できて良かったね・・・・という話だったわけなんです。

エネルギーをどう使うか?

私がやっている「算命学」という占いでは

人が持っている「エネルギーの総量」を知ることができます。

私たち人間を車に例えるなら「ガソリン満タン」な人と「中位」「少ない」と言ったように

人によって搭載量に違いがあります。これをどう使うか?どこにどう「注ぐか」で人生が決まってくるわけです。

多い人は多いなりの注ぎ方

少ない人は少ないなりの注ぎ方

これは人によって違いますから、エネルギーの使い方もまた変わってくるわけです。

ちなみに私はガソリン満タン!!!多少回り道しても無駄が多くても

持ってるエネルギーをフルで使っていく、ダイナミックな生き方が宿命に合っているのです。

なので暇にしていると

「エネルギーの滞り」が生じて運勢が上がりません。

私のようなタイプはエネルギーの注ぎ口をいくつも用意して持っている消化させることが良いのです。

あなたのエネルギーの注ぎ口は?

このように、自分のエネルギーをどこにどう注ぐか?

これが本当に大切になってきます。

自分が望む現実を生きれていないと感じている方は、もしかしたらエネルギーを流す場所がちがっているのかもしれませんね。

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