こんにちは!歌うように軽やかな人生をクリエイトするカウンセラーのやまもと優子です。
ポケットの1万円を洗濯してしまう
先日ダンナさんのズボンにペラで入っていた一万円札に気が付かず、洗濯してしまった。洗濯中に気がついたダンナさんが慌ててポケットから取り出して、濡れた1万円札を乾かしていた。
私は前の日もポケットに時計が入っていたのもあって「気をつけてね」と言ったのだが、後から振り返るとその言い方にちょっとトゲがあったらしい・・・
「別に洗ったことを怒ってないじゃん」とダンナさんがちょっと怒り気味に言ってきた。私の本音としては、革製のお財布とか、そういった重要なものを洗っちゃったら大変だから「気をつけて」って言ってるだけなのに、なんで怒ってるの?私悪くないし!!って気持ちだった。
トリガーは私
次にダンナさんがその濡れた1万円札を指して「これ、優子が立て替えてたお金」と言ってきた。そこで私は完全に「は??何言ってるの?濡れたお札で返すとか失礼すぎるし、そもそも1万円じゃ全然足りないんだよ!!」と怒りのボルテージがマックスになった。しかしながら濡れた1万円を渡されたのは、ポケットに入っていることに気が付かなかったとはいえ、1万円を洗ったことに対してごめんねもなく、警告めいたことを言う私の態度がトリガーになっていたことは自分でも気がついていた。
自分の奥にまだあるの?
細かなやりとりは省くげど、濡れた1万円を渡されそうになって思ったのは「私は雑に扱われる」という感覚があるな、ということだった。ここ2、3年は特に、自分を大事に扱うということは割と丁寧にやってきたと思ってたんだけどなあ・・・・とガックリ。うーん、なんというかこの感覚、一生懸命ピアノ練習したのに、思いの外本番の演奏が良くなかった時の感覚に似ている。(この例え、わかりにくいかな笑)
この現象は自分の内側の「うつし鏡」なのだ。自分を雑に扱えば、人から雑に扱われる・・・そういうふうに自分の「潜在意識」というに認識できない無意識な領域は、外側の現実が実際に自分の人生の登場人物を使って教えてくれるのだ。だから今回のように「雑に扱われる」とか「後回しにされる」とか「意見がが通らない」とかいう現象はぜーんぶ、「自分が自分に」やっていて、「自分を雑に扱っている」「自分をいつも後回しにしてる」「自分の本音を採用していない」など、自分に対する向き合い方とイコールってことなんですよね。
「こじれてもいい」
この一連の出来事で自分をまだまだ雑に扱っているんだなあと再認識してちょっとガッカリしている私もいたのだけれど、以前の私だったら多分「こじれる」ポイントがわかるからこそ「気をつけてね」を言わなかったと思う。飲み込んで(ほーら、またおんなじ事起きてるよ・・・)ってモヤモヤしてたんだと思う。場の雰囲気が悪くなることが嫌な私は、ついつい出かかっている言葉を飲み込んでしまう事が多い。でも最近の私の進歩?笑 としては「こじれてもいい」って思っていること。こじれたって別に一生こじれているわけじゃないし、何度だって繋がり直せばいいんだ。だから飲み込まないで感じたことを言おう・・・というのがだいぶできるようになってきたのは、密かな私の進歩なのだ。
夫婦のすれ違いなんてこんなもの
すっごく雑な言い方をしてしまえば、夫婦で起こる問題ってこんな「1万円を洗う」ような大したことがないすれ違いや、不満が積み重なって大きな問題を引き起こしているように思う。ほら、「ハインリッヒの法則」を知っていますか?300件の軽微なミスや異常が積み重なると、1件の重要な事故などが起こると言われているけれど、夫婦間で起こる問題もそれに似ているな、と思う今日この頃。だからこそ日常の小さな「バグ」を丁寧に向き合って修復していくのが大事なんだろうな、とこの一連の出来事で思った私です。
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