猫の用心棒

実は逆だった

以前もこのブログで書きましたが

我が家の猫「めいたん」は

バーベキュー中に見つけ、

目も開かないくらい小さく、お母さんのいない仔猫だったのをみかねて拾ってきたのだ

私は動物が好きではなかったので

その時は猫を飼うなんて到底考えられなかったけど

お母さんがいない仔猫が不憫で

「私が守らないと」という

使命感にも似た気持ちで彼女を育てた

 

ところが、今振り返ってみると

ホントにそうだったんだろうか?と思う

助けが必要だったのは、

「めいたん」ではなく「私」だったのではないだろうか?

たった一年前くらいの話だけど

仕事、プライベート、両方があいまって

私はなかなか辛い状況に立っていたと思う

私はそれを「大丈夫」と

痛みすら感じないようにやり過ごしてきた

 

この「めいたん」は

私の事が大好きで、とにかく私のいる部屋で一緒に過ごそうとするし、

毛づくろいのつもりなのか、

毎日私を舐め、足に頭を擦り付けてくる

今でもこんなモフモフした生き物が

私を絶大に信頼してるいる事が、信じられないような、可笑しいような気持ちすらしてくる

 

毎日ザラザラした舌で舐められていると

慰められているような、励まされてるようなそんな気持ちになるのだ。

そんな生活を一年以上続け、ようやく自分の中の心と身体の緊張が

ちょっとずつ、ちょっとずつ

溶けるように、ほどけるように

減っていっているのがわかる

 

緊張、強張りといった自分を守る鎧が脱げると

そこには、叫び出したいくらい傷ついた自分が顔を出す

「大丈夫」なんかじゃなかった

そんな傷ついた自分を無かった事にし、

置き去りにしてきた

 

以前「めいたんはあなたを守るガーディアンエンジェルかもしれないね」

と言われた事があったが、

めいたんは私を守るがごとく、できる限り私と行動を共にしている

まるで「用心棒」だ笑

 

守るつもりが守られ

生かすつもりが生かされる

そんな命の不思議を、今日もペロペロされながら感じているのだった

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