聞いてないよの心理

その話聞いてないよ

先日私のアドラー心理学の講座の中で受講された方が

身近に「その話聞いてないよ」とか「筋が通ってない」とか言ってくる人がいてモヤモヤする。というお話をしてくださいました。

皆さんの周りにそういう人いませんか?

・会社の上司

・パートナー

・社会的に権威のある人

などなど…私の身近にも振り返ってみると何人か思い当たる人がいます。何かを進めようとしている時に「自分は聞いてない」とか「筋が通ってない」とか言ってくる人…

こんな人が身近にいたら、皆さんならどう付き合っていきますか?

筋を通すってどういう事?

「筋を通せ」という「筋」って一体何だろう?その筋ってどこが出典元?

私が思うには、日本人は礼を重んじる民族。親や目上の人を敬うというのもその一つ。これは日本の歴史の中で古く中国から輸入された、「儒教」的思想が影響してるんだと思ってます。

そして「儒教」的思想を、相手を敬うとか相手を立てるとかいうものを時に曲解して、自分の都合の良いように解釈したり、利用したりしてる人もいるのかなって思うのです。

それが「聞いてないよ」族の皆さんだと思います。

聞いてないその心は?

「その話自分は知らされてないんだよ」「誰から話すかっていう、話す順番が間違ってるんどよ」そういう反応が過剰に起きている時、その人の心の中では何が起こっているのでしょう?

それはね…たぶん

「大切にされてない」って事だと思います。

自分は大切にされてない。もっと大切にして欲しい、敬ってほしい、注目して欲しい…

「みんなもっと自分のコト大事にしてよ!!」という心の声なんだと思います。

縦の関係と横の関係

先に書いたようにに日本の社会は儒教的思想がベースになっていて、上下関係がまだまだあるのかな、と思います。一方そういう考えに囚われてない人もいますよね。アドラー心理学は「横の関係」を目指す心理学なので、アドラー実践者はこのあたりの感覚をどう捉えるかという事が疑問に感じる時があるように思います。

ベースになっている歴史や文化の違いというところをなんでしょうね。

相手を敬う…相手を愛する

それを「形」にしたものが「礼」だと私は思っているのですが、この「聞いてないよ」を声高に主張する人は、儒教的思想を自分流に利用して「もっと自分を大事にしろ!」声高に言っているんでしょうね。

その心の奥には「寂しい」っていう、無意識の訴えが隠れているのかもしれませんね。

心のソーシャルディスタンス

「聞いてない」「筋が通っていない」それはその人が大切にしている感覚や価値観であり、必ずしもそれを受け入れていかなくてもよいと思います。サラッと受け流す、そんなことができたら良いですよね。必ずしもみんなが同じ事を大事にしているわけではない。そんな時は「心のソーシャルディスタンス」をとって自分の考えを大切にしてあげても良いんじゃないかな・・・・と私は思います。

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